西江邸見学ツアー

現在の吹屋の町並み

 古くから鉄などの集散地であった吹屋。吹屋は、江戸時代から明治にかけて西日本有数の銅と紅柄で栄えた町である。明治時代には銅山も紅柄生産もピークを向かえた。現在の吹屋ふるさと村の町並みは、この頃の紅柄関係の豪商たちによって遺された文化遺産である。

 吹屋地区で作られる紅柄は、「赤の中の赤」と言われ日本全国で賞賛され取引されていた。その名声は九谷焼や伊万里焼の赤色顔料として北欧をはじめ遠く海外にまでMade In Japanブランドとして広まったと言われ、西江家をはじめ当時の紅柄関係者は巨万の富を築くことになったのである。

 やがて第二次世界大戦以降の技術革新により紅柄生産においても工業化の波が押し寄せ、純度の高い人工紅柄が簡単に製造されるようになり、次第に天然紅柄は鉱山とともにその波に飲み込まれた。

 しかし工業品として化学合成により生産される人工紅柄は、純度が高すぎその赤は天然紅柄の豊かさには遠く及ばない。今もさまざまな分野の芸術家をはじめ、天然紅柄の愛好者は後を絶たない。

《紅柄とは》
 鉱山から産出される酸化鉄を原材料とし、それを焼成することによって得られる赤色顔料の一種。着色力・耐久性が強い。インドのベンガル地方で作られていたことから、紅柄と名づけられたと言われている。焼き物の彩色、船のさび止め、建物の塗料などに使われている。
〜第14代西江清一宅全景図〜
 

 西江家は戦国時代(1500年代)の初代当主 西江大蔵清成のころより吹屋地区 坂本村に住み、当時は山城を守る地侍であった。江戸期には大庄屋としてこの地の天領地の支配を許され、邸宅は代官所を兼ねていた。六代目の西江兵右衛門が同じ坂本に住む谷本氏とともに本山鉱山を拓き、紅柄の原料となる緑礬の凝結に成功。大富豪となった西江氏が江戸時代の繁栄期に建てた西江邸は、現在も西江家第十七代当主西江寛格が受け継ぎ、一族の懸命な努力により白壁の往時の面影を今にとどめている。
 現在、蔵の一つが西江資料館として公開され、天然紅柄で彩色された伊万里焼や輪島塗り漆器をはじめ、往時の貴重な資料の数々が収められている。

| 玄関 | たたずまい | 宿泊施設 |

写真提供:山陽新聞社